こんにちはロウシです。
今回は大杉栄の評論を集めた「大杉栄評論集」の紹介と解説です。
「大杉栄評論集」はたくさんの知見があります。
今回はその中から私が面白いと思ったものを紹介していきます。
いったいどういった内容なのでしょうか。
今回の記事を読んででわかることはこういったことです。
- 大杉栄とはどういった人物か
- 「大杉栄評論集」の内容
- 大杉はロシア革命をどう思っていたか
大杉栄とは
大杉栄(1885~1923)は思想家、社会運動家、作家、ジャーナリストです。
大杉栄は1885年愛媛県に生まれました。
1899年、名古屋陸軍地方幼年学校に入学。
彼は学校では武道に熱中します。
でも成績はあまり良くありません。
修学旅行で下級生の男子に過激な悪戯をしたとして禁足30日の処分を受けます。
同級生との喧嘩で相手にナイフを刺される事件を起こし、1901年退学処分になります。
1903年、東京外国語大学 仏文科に入学。
1908年治安維持法違反で逮捕。
ちなみに大杉は捕まるたびに一つの言語を習得していたらしいです。
本当に語学の天才。だけで吃音。
1923年フランスに密航。
が強制送還され本国(日本)に戻される。
1923年9月16日柏木の自宅近くからパートナーの伊藤野枝、六歳の甥と共に憲兵に連行され殺害されます。
殺害した、甘粕と森はその後有罪判決を受けています。
大杉の人生は本当に波瀾万丈です。
さすがアナーキー。
「大杉栄評論集」とは
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「大杉栄評論集」は大杉栄が雑誌などに投稿した評論をいくつかまとめた本です。
大杉栄の言葉は不思議です。
力強いのですが、その中にすごく繊細さを感じます。
今回はその中でも特に興味深かった話を実際の言葉を引用しながら紹介します。
それでははじめます。
奴隷根性論
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奴隷根性論では奴隷道徳や奴隷根性について論じられています。
まず大杉は、奴隷は最初主人に恐怖で服従しているといいます。
奴隷は主人に逆らえば殴られ殺されます。
その恐怖で奴隷は主人に従っています。
しかし奴隷はあるときから自分で従うようになります。
奴隷はこの服従がだんだん苦痛ではなくなりかえってそこにある享楽を見つけ出すのです。
さらに主人を宗教的に崇拝するまでにいたるのです。
ここで少し引用します。
主人に喜ばれる、主人に盲従する、主人を崇拝する。これが全社会組織の暴力と恐怖との上に築かれた、原始時代からホンの近代に至るまでの、ほとんど唯一の大道徳律であったのである。
大杉栄,飛鳥井雅道 (編)(1996)『大杉栄評論集』岩波書店(p.40)
この奴隷道徳は至る所に浸透しています。
例えば学校。
学校のルールに従えない人を先生に教えたりする人間がいます。
彼らはある種奴隷道徳に支配されているのです。
大杉は、この我々の脳髄に刻み込まれた奴隷根性を消し去るのは容易なことではないといいます。
でも私達が真に自由になるにはどうしても奴隷根性を消し去らなければならないと大杉はいいます。
私達はどうやったらこの奴隷根性から脱却できるのでしょうか。
もしかしたら絶対にこの奴隷道徳や奴隷根性から我々は脱却できないのかも知れません。
自我の棄脱
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自我の棄脱では自我について論じられています。
この話は読んでもらった方がわかるので引用します。
われわれが自分の自我――自分の思想、感情、もしくは本能――だと思っている大部分は、実に飛んでもない他人の自我である。
大杉栄,飛鳥井雅道 (編)(1996)『大杉栄評論集』岩波書店(p.124)
大杉が言いたいのは多分こういうことです。
私達が自分で考えたり、思ったりすることは他人のものかもしれない。
私達は普段自分の自我があると思っています。
しかしその自我がもし他人の自我だったらどうでしょう。
そんなことはありえない!自分は自分の自我を持っていると思う人もいるでしょう。
しかしそうじゃない可能性があるのです。
兵隊の足並みについていくうちに無意識に足並みをそろえるように普段の生活でも自分の自我じゃないかもしれません。
現代人は皆自我がないと私は思います。
SNSで見たものを買ったり、まねをする。
この行動のどこに自我があるでしょうか?
周りの人間に行動を合わせる人間のどこに自我があるでしょうか。
私達はどうやったら自我を手に入れられるのか。
そういうことを考えさせてくれる話です。
大杉のロシア革命についての意見
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ここでは大杉栄がロシア革命についてどう思っていたかを書いておきます。
無政府主義に行くにはまず社会主義を通過しなければならぬとか、ボルシェヴィズムを通過しなければならぬとかいう事は、僕は無政府主義の敵が考えだした詭弁だと思っている。
大杉栄,飛鳥井雅道 (編)(1996)『大杉栄評論集』岩波書店(p.252)
大杉はロシア革命にあまり肯定的ではないように私は見えました。
大杉はロシア革命は誰でも助けるが、そんなボルシェヴィキ政府を誰が助けるかみたいなこともいっています。
すくなくとも私が見た限りでは大杉はロシア革命に肯定的ではにと思います。
「大杉栄評論集」を読んで知れること
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「大杉栄評論集」を読むと何が学べるのでしょうか。
いまからそれを書いていきます。
ただこれはあくまで個人的な考えです。
人生とは何か
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まず最初に人生について知れます。
大杉はこの評論のなかで生や人生についてたくさんのことを述べています。
大杉は生を闘争であると言いました。
確かに生きている限り常に誰かを傷つけ、誰かに傷つけられています。
それをしっかり見抜いているというのはさすがです。
自我とは何か
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次に自我とはなにか知れます。
自我とは何かを我々はあまり知りません。
ですが我々は自分が自我を持っていると思っています。
しかし大杉はその自我ももしかしたら他人の自我かも知れないと言います。
この考えは非常に重要です。
なぜなら自分で考えていると思っていたことは他人が考えたことかもしれないからです。
そうならば何のために思考するのかわかりません。
そういうことを考えさせてくれるのがこの本です。
無政府主義とは何か
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最後に無政府主義とは何か知れます。
無政府主義という言葉は知っていてもどんなものかは知らない人の方が多いと思います。
大杉は無政府主義者です。
無政府主義者の言葉を読むと無政府主義という言葉以上の何かを感じます。
これは無政府主義の定義だけ聞いてわかるものじゃありません。
それをこの「大杉栄評論集」はわからせてくれるのです。
「大杉栄評論集」がおすすめの人
「大杉栄評論集」がおすすめの人はこういった人です。
- 大杉栄について知りたい人
- 無政府主義ついて知りたい人
- 支配について知りたい人
- 人生に興味がある人
ここにあてはまる人は読んで損はしないでしょう。
「大杉栄評論集」がおすすめではない人
「大杉栄評論集」がおすすめではない人はこういった人です。
- 無政府主義主義に興味がない人
- 大杉栄に興味がない人
ここにあてはまる人はおそらく読んでも楽しめないでしょう。
まとめ
- 大杉栄は無政府主義者
- 「大杉栄評論集」は大杉の評論をまとめた本
- 我々は奴隷道徳に支配されている。
- 我々の自我は他人の自我かも知れない。
今回は「大杉栄評論集」についての記事でした。
ご興味があればぜひご一読ください。